最終回なので、この連載のまとめ…。そんな大袈裟なものでもないが“塩梅”のことを書いてみようと思う。そもそも塩梅とは料理用語で、塩と梅酢でほどよく味をつける様を表しているが、料理に限らず物事の加減や具合を意味する言葉として広く用いられ、特に“健康状態”を指す、と辞書には記載されている。
とまぁ、字面だけを追うと塩梅とは何ともいい加減な、テキトーなどっちつかず言葉に聞こえるが、それが良いと思う。白なら白、黒なら黒とハッキリさせたい気持ちもあるが、そう簡単にいかないのが世の常。だから、良くいえばバランス感覚ではなかろうか。イエスかノーかで計れない時、「このへんでいいか」てな感じが、塩梅なのである。
第1回に書いたが、(私も含め)人間は愚かな生き物である。すべて損得の秤で判断し、自分にとって損なものは徹底的に排除する。そんな傾向が強まってきているように感じる。こうした損得の二元論をハナから否定する訳ではないが、どうも昨今の(特に若年層の)凄惨極まりない犯罪を考えると、この論法に帰着してしまう。
もともと愚かなのだから思い通りに行かなくて当たり前、とばかりにもっと大らかに構えていられないものか。健康にしてもそうである。病気や悩みがないのは頗(すこぶ)る結構なことだが、ひとたび病気になったら、何日間かあるいは一生その病気とともに過ごさなければならない。その現実を、どう受け入れるかも健康の大切なキーワードだと思う。
朝、目が覚めて「何となく昨日よりも調子が良い」なんて時は、まさしく『本日は良い塩梅で』ある。確かな根拠はなくとも良い加減(いい加減ではない)、良い具合ならそれで良いじゃないか。そして「明日も良い塩梅でありますように」と思うこと。これが私なりの健康との付き合い方である。皆様はどう思われますか…。
ご愛読ありがとうございます。読者ならびに編集スタッフの皆様に心から感謝申し上げます。お後がよろしいようで。
2001年7月9日
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