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病気になって生まれ変わった?
「○○が効くらしいゼ、試してみたら」なんてことを、糖尿病を患って以来アチコチから耳にする羽目になった。「大きな世話だ、放っておいてくれ」って本音を隠しつつ、取り合えず耳を貸さなければ相手に悪いと思い、つい聞いてしまう(あくまでも聞くだけ)。
健康になりたいとは切に願うが、人にああせいこうせいと云われるなんて真っ平ご免だ。糖尿病など、完治が望めない病気に掛かってしまうと、それまでの日常生活が嘘の様に何もかもが変わってしまう。云い変えれば、病気が引き金となって全く別の人間になってしまう様な、まるで生きながらにして生まれ変わった様な。こんな考えは飛躍しているだろうか? 私としては、実体験で決して大袈裟ではないと思う。そしてポイントは、そうなった人間を目の当たりにした周りの人々(家族や友人など)にこそあるのだ。
得てして周りは前述の"お節介"を並べ立てる訳だが、その真意とは「以前のオマエに戻ってくれよ」と云う願いが込められていないか。私としては「それって今のオイラを受け入れられない、お前らのエゴイズムなんじゃないの?」と、つい意固地になってしまう。
例えば、元気だった両親が何の前触れもなく倒れたり、寄る年波で身体の自由が奪われた時、"変わってしまった"大切な人を、果たしてどこまで"受け入れ"られるだろう? 本格的な高齢化社会の訪れを前に、そろそろこんなことも考えるべきではなかろうか。
病気(或いは老齢)となった人と、どう良い塩梅で付き合っていくか、そのカギを握るのはすべからく周りの人間であると思う。自分のエゴに気付かず、何気なく発した一言で大いに傷付いてしまうことだってある。病気は、その本人だけでなく周りも多くの事が学べるもの。安易に「元気におなりよ」と云う前に、患った人の本音に耳を傾ける余裕が欲しいものだ、と思う今日この頃である。
(つづく)
2001年4月27日
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